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GAZ-M20ポピェーダ(GAZ-M20 Pobeda ロシア語:ГАЗ-М20Победа、Победа)は、ソビエト連邦の国営自動車工場GAZによって開発され、1946年から1958年まで生産された中型乗用車である。 愛称「ポピェーダ」(文献によっては「ポペーダ」「ポベーダ」)は「勝利者」の意味で、1945年に大祖国戦争(独ソ戦)に勝利したばかりの、当時のソ連における国威発揚的な意義があった。 生産台数は23万台を超え、完全自国開発のオリジナルな乗用車としてはソ連で初めて大量生産されたモデルとなった。また前輪独立懸架とモノコック構造を採用し、絶対的な性能や品質水準は劣ったが、多くの面で曲がりなりにも同時代の西ヨーロッパ車(欧州車)に比肩するスペックを獲得した。以後GAZが開発していった上級モデルの「M12・ZIM」(1950年)や後継モデルの「M21・ヴォルガ」(1958年)に先立つ事例ともなり、ソ連における戦後の量産乗用車開発の基礎となった。 なお1951年からポーランドの国営工場FSO(Fabryka Samochodów Osobowych)でも「ワルシャワ」のネームでライセンス生産され、こちらの生産は1973年まで続行、ソ連のオリジナルを越える25万台以上が生産された。 == 開発と生産 == GAZ(ゴーリキー自動車工場)は、1929年にアメリカのフォード・モーターと技術提携して以来、旧型フォードのボディをフォード社から譲り受け、「GAZ-A」「GAZ-M1」といったフォード・タイプの乗用車を、エンジンを共用する姉妹モデルのトラック共々生産した。大量生産の総本山とも言うべきフォードからの技術導入によって、GAZは1930年代からソ連におけるもっとも有力な量産自動車工場になっていた。 1930年代当時のフォード車は、創業者ヘンリー・フォードのポリシーにより、単純頑強な設計のシャーシを堅持しており、ソ連の悪路でも相当に耐久性があったが、横置きリーフスプリング支持の前後固定軸サスペンションをはじめとする旧弊な傾向も持ち合わせていた。このため、ソ連でフォードの中古生産設備を利用するかたちで生産された1930年代中期のモデルは、第二次世界大戦期には既にはなはだしく前時代化していた。また燃費も良いとは言えず、ソ連での燃料事情の悪さや、国際的な自動車技術の進歩をも考慮すると、より近代化された設計の後継モデルが求められるようになっていた、 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「GAZ-M20 ポピェーダ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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